どうもアイオです。
みなさんは「ガマ」って聞いたことありますか?
ガマって?
ガマは沖縄の方言で自然にできた鍾乳洞や洞窟のことです。
沖縄本島には約2000程のガマが存在し、特に沖縄本島南部に多くみられます。
戦時中の避難場所として使用されたり、古くは風葬の習慣があった沖縄ではガマに遺体を置いていました。
沖縄戦とガマ
太平洋戦争末期に起きた沖縄戦とガマは切っても切れない関係にあります。
アメリカ軍が沖縄本当に上陸し地上戦が始まりました。そこで沖縄に暮らしていた人々が避難した場所がガマです。
ガマは住民の避難場所としてだけではなく、日本軍の陣地として、また負傷兵の病院としての役割を担うものもありました。
敵から身を守ることに適しているガマを日本軍が奪いガマに避難していた住民たちが命を落とす、またガマの中で集団自決が起きることもありました。
こうしてガマ内部・付近では多くの方々の命が失われています。
今もなおガマには戦争の爪痕が残っており、修学旅行で平和学習として訪れた方も多いのではないでしょうか。
見学できるガマ・鍾乳洞
戦争の悲惨さを体感する
チビチリガマ
ガマを出ると殺されると信じていた住民たちが、米軍に殺されるくらいなら身内同士殺しあうまたは毒薬で自決するといった騒動がチビチリガマでは起きました。
この集団自決によって80名もの方々が命を落としています。
現在ガマ内は遺族会の意思により入ることができません。
シムクガマ
チビチリガマと同じ読谷村内にありながら、シムクガマ内にいた住民は多くが無事助かっています。チビチリガマに避難していた住民同様、ガマから出ると殺されてしまうと多くの住民が考えていました。
しかしこのガマ内には英語を話せる住民がおり、他の住民たちを説得し1000人もの人々が助かったそうです。
糸数アブチラガマ
元々は地元住民の指定避難壕であり、また日本軍の陣地として使用されていました。後に病院としての役割をも持ち重症患者が多く搬送されてきました。避難住民と重症患者が入り乱れる混沌とした地獄絵図のようだったと言われています。
全長270メートルで現在ほぼ全域が公開されています。
修学旅行生をはじめ年間で10万人もの人が訪れています。戦時中と同じく文字通り真っ暗闇の空間を体感することができます。
轟壕
全長約100メートル、ガマの中には川が流れています。
1000人以上の住民・日本兵が避難していたと言われています。また、当時の沖縄県知事や県庁幹部が避難しており、「沖縄県庁最後の地」と呼ばれています。
自然の神秘を感じる
玉泉洞
観光施設・おきなわワールド内にある鍾乳洞。
全長5000メートルで現在はそのうち890メートルが公開されています。国内一の規模を誇り、「東洋一の景観」とも称されています。
およそ30万年前から作られ始めたこの鍾乳洞は、今現在も成長し続けています。
まとめ
鍾乳洞=玉泉洞のような神秘的なものばかりを想像しがちですが、戦争の跡が色濃く残る沖縄では歴史を知る上で防空壕として利用されていた「ガマ」がとても重要なものとされています。
何人もの命を亡くした戦争の傷跡を風化させないためにも、ガマから歴史を学んでみてはいかがでしょうか。
見学の際には鎮魂のおもいを持ち、そしてマナーを守った行動をとりましょうね。
それでは。